さて、ひさしぶりにまた三国志の注釈、もとい、
星花のお話をw

まずは第3回 pm3:30 じゃじゃーーん!
バレンタインデーのときのお話ですね。

名馬の形のチョコを作ろうとして、
残念ながらおだんご状態のチョコになりました。
でも、初めてチョコを作ったのですからそれだけで十分です。
おだんごも、星花のイメージに合っていていいと思いますよ。

さて、三国志で名馬といえば、
赤兎馬ですね。
あとは、的盧とか、絶影ですね。
的盧は劉備
絶影は曹操
の愛馬です。
赤兎馬の乗り手は?と聞いて普通誰が一番に思いつくでしょうねぇ。

関羽というのが日本としては一番メジャーなのかな?

呂布と答えた人は三国志を知っている人。
名探偵コナンで、蘭姉ちゃん、三国志詳しすぎw

ここで、董卓と答えた人はマニアか性格がひねくれているw

しかし、さらにねじくれた人は馬忠と出てくるでしょうw
関羽が呂蒙の計略にかかり、捕らえられて斬首されたあと、
呂蒙は孫権に赤兎馬を献上しますが、
孫権は乗りこなせず、荊州攻略の際に武功をたてた馬忠に褒美として
渡しております。
しかし、赤兎馬は餌を食べずに死んでしまうというのが最期です。
孫権や馬忠は赤兎馬を乗りこなせれてはいないのですよね。
でも董卓はちゃんと乗って戦ってたらしい。
きっとこのときに鍛えられたのだろう。

と、赤兎馬の話ですが、最初の登場から関羽の死まで、
20年以上経っているのですよね。
馬の寿命は長ければ40年ありますが、
現役として戦い続けるにはちょっと無理があります。
おそらく、三国志演義でも解釈されるように、
赤兎馬は血のような汗をかく汗血馬と言われています。
これは、西洋からシルクロードを通って流れてきた馬の種類で、
こういった種類の馬を関羽が乗り継いでいた可能性が高いかと。

まぁ、本当に、董卓→呂布→曹操→関羽→呂蒙→孫権→馬忠
と生き続けていたのなら本当に伝説的な名馬です。


さて、日記に戻ると
「いつかお兄ちゃんと四川省に行けるようにとの願いを込めて」
四川省は、三国時代には、蜀と呼ばれている地域です。
さらに詳しくは、益州。
諸葛亮が、益州を基盤として漢の復興を考えて天下三分の計を
たてた理由の一つとして、前漢の劉邦もここを拠点として、
楚の項羽と戦い、漢の国を作ったからです。

以上今回の注釈終わり。
次の日記は、書くとすごく長くなりそうだw
赤壁だしw
レッドクリフからみの話も書きそうだから、分割するかなw
これだけ違う、史実と演義。みたいな。




コメント

nophoto
滝尾知和
2009年12月20日21:33

赤兎馬のオーナーといって真っ先に思いつく人だれですか。
弊出版部2人の答は呂布でしたねえ。私のは蒼天航路の影響かな…

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