では、星花の日記考察というか注釈になってる気もする、Part2

ちなみに、麗の日記の鉄道考察が必要な方はこちらへw
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さて、第二回は 雪

最初の方はほのぼのと家族で過ごす雪の日って感じで。
中国好きな星花は、竹林やパンダを想像したり。

で、最初にひっかかるであろう単語、
「雪千丈」
この単語知ってる人、もしくは覚えている人どのくらいいるでしょうねぇ。
この単語が出てきたことで、星花が読んでいる三国志が、
吉川英治版ということがわかります。
三顧の礼の二回目のときの副題です。
普通に辞書を引いてもこの単語は出てきませんw

ちなみに自分は光栄のゲームの三国志(ファミコン)から入りました。
その後、横山光輝版の漫画。で、小説という順番です。

三顧の礼の説明は、星花の文章でしっかり書かれてます。

敢えて注釈をつけるなら、「臥龍」というところかな。
孔明の俗称というか、正確には人物評論を受けたときの結果です。
この時代、名士からの人物評論を受けるというのは重要なことで、
評価を受けていない人は出世に支障がでるほどです。
名士について詳しくは後述。

あと、「臥龍」でなく、「伏龍」で覚えている方もいると思いますが、
三国志演義としては、「臥龍」です。
「伏龍」は、横山光輝版で広がった俗称です。

で、このときは劉備と張飛で話を進めているので、
最後には
「星花が張飛様になって、お兄ちゃんをお守りするのです!」
と。
一回目の日記で関羽様を目指してといいつつも、
今回は張飛様になって守る、と。
状況に応じて好きな武将を選んでいる感じですねw


さて、日記から離れて三国志豆知識。
名士というのがどういうものか、ですが、
基本的に清流派と呼ばれる、儒教を基本として学問を修めている人たちです。
清流派というのも、実際は漢の皇帝の傍にいるのは、
外戚か宦官が主でこれらは本来政治に深く関わる者でない、と、
後世では伝わっているからです。

後漢の政治は、初代皇帝の光武帝(劉勝)が全国統一したものの、
内政としては、外戚もしくは、宦官たち、
と、実際に新から後漢に移るときや前漢の頃からの名臣たちの子孫が、
交互に実権を握ってました。
(ちなみに、劉備が言う、中山靖王劉勝というのはこの光武帝です。
で、その子供の一人が景帝という名で領土を持ってました。
ですが、景帝には子供が120人くらい居たらしいので、
劉備の家系図がどの程度正しいのかは不明)
後漢の皇帝は殆ど若年で、自ら政治を行うことができたのは数人です。
そして三国志の舞台から約30年前に「党錮の禁」という、
宦官による清流派の弾圧がありました。
これにより、皇帝の傍には宦官と外戚のみとなり、ますます政治は乱れ、
清流派の生き残りは各地に散っていきました。
それでも、政治の形式として、宦官だけでは全ての政治ができないので、
三公(まぁ、総理大臣みたいなものと思ってください)とかは、
清流派から選ぶわけです。
(宦官に賄賂を贈って出世するものもいますが)

で、各地に散った清流派ですが、今の政治を嘆きつつ、
宦官打倒を考えるか、英雄となるべきものを探すか、となるわけで、
彼らによる人物評論というものが流行します。
曹操の「治世の能臣、乱世の奸雄」というのも人物評論によるものです。
曹操は、この評価を受けて、洛陽で出世することができました。
(祖父が宦官だったから、というのもありますが。
 あと、前漢の名臣 夏侯嬰の血も引いていると自称。
 ですが、大事なのは評価を受けた、という事です)

ちょっと長くなりましたかね。
まだ書きたいことはあるのですが、三国志について語ると長くなるので、
いったん止め。

さて、今日書いた人と昨日書きそびれてた姓名 字 一覧

劉勝 文叔

曹操 孟徳

夏侯嬰 (字 不明)


董卓 仲穎

明日は三国志以外のことを書いてみるかな。

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